Arktorous & Company 2

勧善懲悪

ゲーセン

    四半世紀超えて前の事やのに(もしくは、それを良いことに)、僕がゲーセン三昧で成績落としたとか、大学受験に失敗したとか、それに関して現実逃避しとるとか、高校時代の僕に嫌がらせしてたり、軽く扱ってたりした的な自覚のあるらしき方々以外にとっては、まあどうでも良い内容で辻褄合わせしとるお馬鹿が発生中な模様。ゲーセンでどの程度時間を潰したかはともかく、そもそもの話、高三時の付き合いで、数回図書館に自習()に行ったり、大学で、単位のために、同級生が勉強しに下宿に泊まりに来たり、図面描く必要が出来たりするまで、学校課題やらなんやら、押し付けられた勉強のために、学校の教室や某英語塾以外で机に向かった経験なんて、生まれてその方一度もなかったから。そんなでも今も手元に残ってるセンター模試の結果とか、全国平均を3桁の数字で上回って、いくつもの国公立理系学科でA判定とっとるし、まあ、なんというか、僕が実際に選んだ大学のブランド力とか、僕を批判しとる当のお馬鹿さん方自身の大学ブランドへの思い入れとか、そういう先入観で色々錯覚した批判押し付けてくれすぎやわ。そもそもこれまた、僕を知る一部界隈では知れた話やけど、主に小5、小6、中2と高1で巻き込まれたとある一連の出来事での心境の変化で、もう高1終盤の段階で進学したい気持ちなんて失っとったし。経済的に、はたまた、希望就職先的に、進学する必要もなかったし。(四十路半ばになってまでこんな次元のことをアピールしなきゃならんこと自体、間抜けすぎて自分の所属する世間の価値観に呆れる。)それでも大学に行ったのは、いわゆる“第一世代”とかの勘違いちゃんたちでも大卒()としてそれだけで幅を利かせられるアホ世間で、僕が馬鹿にされながらぼんやり規定路線はずして暮らしていくことをプライド的に受け入れられん家族何人もが、僕が非学歴派な祖父の鉄工所で働くことに反対して説得してきたからで、腰掛けでしかない他人に指導され、アホの物差しで評価を押し付けられる環境なんてまっぴらゴメンやという感覚は、子供の頃からなにも変わっとらん。勿論、今も。って話。