某県立美術館にて。
日曜日とあってかなり盛況。
観客があふれ、なかなか次の絵に進むことが出来ないほど。
エッシャーの絵の前に差し掛かったとき、
後ろにカップルがいた。
観客の列の流れに乗ってこちらが移動した際に、
彼らの視線に、絵との間に立つこちらの体がかぶったらしく、
女性が「イラっときた。」と男性に報告。
男性も鸚鵡返しに「イラっときた。」。
後ろの列を過度に気遣う義理などなく。
彼女がどのような表情で会話しているのか、振り返って観察してみた。
身長に差があり、髪の毛に隠れて表情は分からず。
向き直って絵の鑑賞に戻ると、
その女性に、男性が「(筆者が)にらみ付けていた。」と過度の報告。
もう一度振り返って今度は男性の表情をまじまじと観察。
同じくらいの身長で、相手の視線は中空。
再び向き直って、列の流れに乗り、次の絵に移動したが、
相変わらず件のカップルは真後ろにいる。
ふと男性が、女性に再び報告。
「逆らわれた。(笑)」
女性、「うふふ。(笑)」
分かる人には分かる機微の話。
別の話。
車を降りる瞬間など、言い返す機会をもてないようなタイミングで、
「私らにつじつまあわさせんつもりらしい。」と。
『私ら』とは?
つじつまあわせを必要とするような自称運命共同体も、
猜疑心に言い訳して、優越感の依拠するところとして使い出があるものらしい。
つじつまを合わせはしても、謝罪するつもりがないという、
らしい文化はよく理解させていただいた。
これまた別の話。
その昔、同級生のKに仕事を紹介された。
その仕事先での面接の帰りに自宅の近辺まで送ってもらい、
車から降り、ドアを閉める瞬間に、早口目の張らない声でKいわく、
「ハイ、○○の人生オシマイ♪」(○○とは、筆者のニックネーム。)
外道な優越感の演出は、餓鬼畜生の生存には、必須のモチベーターといったところか。