Arktorous & Company 2

勧善懲悪

某県立美術館にて


某県立美術館にて。


日曜日とあってかなり盛況。


観客があふれ、なかなか次の絵に進むことが出来ないほど。





エッシャーの絵の前に差し掛かったとき、



後ろにカップルがいた。




観客の列の流れに乗ってこちらが移動した際に、



彼らの視線に、絵との間に立つこちらの体がかぶったらしく、



女性が「イラっときた。」と男性に報告。



男性も鸚鵡返しに「イラっときた。」。





後ろの列を過度に気遣う義理などなく。





彼女がどのような表情で会話しているのか、振り返って観察してみた。



身長に差があり、髪の毛に隠れて表情は分からず。



向き直って絵の鑑賞に戻ると、



その女性に、男性が「(筆者が)にらみ付けていた。」と過度の報告。




もう一度振り返って今度は男性の表情をまじまじと観察。



同じくらいの身長で、相手の視線は中空。





再び向き直って、列の流れに乗り、次の絵に移動したが、



相変わらず件のカップルは真後ろにいる。




ふと男性が、女性に再び報告。



「逆らわれた。(笑)」



女性、「うふふ。(笑)」






分かる人には分かる機微の話。




別の話。


車を降りる瞬間など、言い返す機会をもてないようなタイミングで、


「私らにつじつまあわさせんつもりらしい。」と。



『私ら』とは?



つじつまあわせを必要とするような自称運命共同体も、



猜疑心に言い訳して、優越感の依拠するところとして使い出があるものらしい。



つじつまを合わせはしても、謝罪するつもりがないという、



らしい文化はよく理解させていただいた。



これまた別の話。


その昔、同級生のKに仕事を紹介された。


その仕事先での面接の帰りに自宅の近辺まで送ってもらい、


車から降り、ドアを閉める瞬間に、早口目の張らない声でKいわく、


「ハイ、○○の人生オシマイ♪」(○○とは、筆者のニックネーム。)


外道な優越感の演出は、餓鬼畜生の生存には、必須のモチベーターといったところか。