〈帰宅時遭遇車リスト〉
毎晩23時前後となる、仕事場からの帰路3km。平均遭遇台数ほんの5台程度。
以下の条件の少なくともいずれかひとつに当てはまる車が、ほぼ毎晩必ず現れる。
「集団ストーカー」、「強制尾行」、「組織的嫌がらせ」、集カスと呼びならわしている。
[条件]
①1桁ナンバーや4桁中3桁以上同字ナンバーなどの特殊な希望番号の車
②赤青黄の三原色塗色の車
※赤塗色乗用車は23台に1台、青塗色は16台に1台、黄塗色は130台に1台
(検査業界発表の、塗色別乗用車保有台数統計による)
③ハイビームヘッドライトで照らしつけてくる車
④片目ヘッドライトの車
⑤「・427(死にな)」等の意味ありげなナンバーの車
⑥1199、9111、1008等の様な、赤色画像をググらせるナンバーの車
⑥夜中にガソリンスタンドに寄ると、構内に・・・3、出て最初の対向車は赤車
条件に合致する度合いは強弱あれど、毎晩3kmの帰路でほんの5台程度の車に遭遇する中で、それらが確実に含まれている。
大学三年時の研修旅行中に、引率教員から一方的に売られた喧嘩嫌がらせ(女性絡み)を買って以来二十数年、時には全米ネットの放送局やNHKまでも巻き込んで行われる、行く先々での先回りの嫌がらせ(※最下部に追々記述していく)や誹謗中傷のターゲットたる身として、すべてがすべてとは言わないが、相当数が組織的嫌がらせであろうと訝しんでいる。(病的記述だが、決して妄想ではない。すべて知る人ぞ知る事実である。)
毎晩の帰路の走行距離はほんの3km、6分程度。赤い車が最初ないし最後の遭遇車として7日連続現れ続けた時期もある。片目ヘッドライトが11日連続で現れていたような時期もある。仕事場を盗聴されているか、自車にGPS発信器を設置されているか、なんらかの付け回しのシステムが存在するものと訝しんでいる。各晩の遭遇状況数か月分の概略は、毎晩別に投稿しているー覚書ーで確認できる。
【日時】
日付:令和2年11月03日火曜日
エンジンスイッチオン:23時05分34秒
出発:23時06分09秒
【遭遇車数(容疑車数)】
仕事場前: 0台(容疑車0台)
仕事場100m圏内: 0台(容疑車0台)
仕事場500m圏内: 0台(容疑車0台)
仕事場500m交差点: 0台(容疑車0台)
旧道区間中盤前半: 2台(容疑車0台)8907、9098
旧道区間中盤後半 0台(容疑車0台)
旧道区間終盤: 1台(容疑車0台)7560
国道区間往路: 不使用(容疑車0台)
国道区間復路: 不使用(容疑車0台)
国道旧道接続区間: 不使用(容疑車0台)
最寄駅前・鉄道側道間:不使用(容疑車0台)
鉄道側道区間前半: 不使用(容疑車0台)
鉄道側道区間後半: 不使用(容疑車0台)
ガススタ構内: 不使用(容疑車0台)
ガススタ100m圏内:不使用(容疑者0台)
自宅800m圏内: 0台(容疑車0台)
自宅500m圏内: 0台(容疑車0台)
自宅400m圏内: 1台(容疑車1台)・600ブレーキ踏みっぱなし
自宅300m圏内: 0台(容疑車0台)
自宅200m圏内: 0台(容疑車0台)
自宅100m圏内: 0台(容疑車0台)
自宅集落前遭遇車数: 0台(容疑車0台)
自宅集落内遭遇車数: 0台(容疑車0台)
自宅集落内路駐車数: 0台(容疑車0台)
総遭遇車数: 4台(容疑車1台程度)
到着:23時11分38秒
走行距離:3000m
―遭遇車目次(抜粋)ー
※車種 塗色 ナンバー (走行距離) 遭遇順
①軽自動車 黒 岡山581 く 8907 600m 1台目
②コンパクト 黒 岡山502 ね 9098 800m 2台目
③コンパクト 銀? 岡山501 ほ 7560 2000m 3台目
④マーチ? 黒 〇〇〇〇〇 〇 ・600 2600m 4台目
―容疑車画像リスト― 「『・600』が、駐車場内でブレーキ踏みっぱなし」
※「集団ストーカーのアルバイトについて」参考URL:
【総括】23時台3kmの帰路。全4台に遭遇。
青塗色の乗用車は16台に1台、赤塗色は23台に1台、黄色塗色は130台に1台の割合でしか存在しないことが検査業界の統計ではっきりしている中、毎晩の帰路出発直後および到着直前の遭遇数台の中にほぼ必ず、4桁中3桁以上同字ナンバーないし赤青黄塗色の車が含まれている。
しかし同夜は珍しく、訝しい車との遭遇がほとんどなかった。唯一訝しめたものといえば、自宅まで400mの地点にある1台分の駐車スペースしかない店舗駐車場内で少なくとも10秒以上、僕の目撃を狙ったようにブレーキを踏んだままの車を見かけ、僕が通り過ぎたと同時にブレーキを踏むのを止めたそれが、当ブログでは「4桁中3桁同字ナンバー」の一種としてカウントしている・600だったことぐらいであった。初めての事象ではない気もするので、とりあえず記録しておく。
(赤塗色乗用車は23台に1台、青塗色乗用車は16台に1台、黄色塗色乗用車は130台に1台の割合でしか存在しないことが検査業界の統計ではっきりしているのと同様、4桁中3桁以上同字ナンバーについても、単純計算で5%程度の割合でしか存在しえないはずである。いくらクソ田舎な”県民総ヤンキーもどき”ないし”車文化”の我が地元でも、10%を超えはしないであろうと考える。)
別に投稿しているー覚書ーも参考にすれば、日を置かず刷り込みが行われている容疑要件を満足する車との遭遇が異常な頻度で続いていることは明らかで、僕でなくても強制尾行を訝しまざるを得ないだろう。まさに「スローキル」、「組織的嫌がらせ」である。
【備考】
属国体質のこの国では、警察さえも嫌がらせ組織である。
【付録】
※嫌がらせ被害状況その1
初めて顔を合わせる人間からさえも様々嫌がらせをされるようになって6年目の2002年。高校の同窓生Gに紹介された仕事(K塾)で採用された夜、そのGの運転で自宅まで帰り着き、降車した僕が押した車ドアの閉まる寸前に、にやけた面になったG@運転席が、「はい、(田舎の閑職に就いた)お前の人生おしまい」と、嬉しそうに聞こえよがしに喋った。
ちなみに、警察官の子弟であり、その割には法を犯し放題・犯罪自慢し放題であったG当人も当時、その同じ就業場所での”閑職”に、副業として就いていた。
そしてその後、最短契約期間であった1年が経過するまで、彼や、その職場「K塾」のフランチャイズオーナー、一部顧客からの、陰湿な嫌がらせを受け続けることとなった。
そういう嫌がらせを止められない輩は所詮嫉妬の塊で、いくら束になろうがまともに遇するに値しないので、対策としては誹謗中傷を論破し続けるに留め、ほぼほぼ放置していた。
こう書けば、受ける嫌がらせとしては序の口の風ではあるが、この状況が、それ以前の状況とも相まって、まだまだ生半可ではいかないゴミのような嫌がらせの連鎖へと繋がっていくことになる。
※嫌がらせ被害状況その2
経営する塾の塾生で、とある知恵を授けるまで地図の東西南北さえも覚えられず、1年かけても日本地図の白地図の都道府県名や、英単語beautifulの綴りを、ついぞ独力で解決できるようにならなかった(母親の妊娠中の飲酒で、それほど海馬に問題を抱えていた)、大人に騙され洗脳されるために生まれてきたような程度の能力だった女子生徒が、他の塾生と、「昨日の夜は、初めてどこ走ってるか見失わせたらしいよ。」と会話するのを耳にし、直後問い質して涙を流させた経験がある。
2年前、初めて、仕事場から自宅までの3km程度の全旅程を、抜け道ルートオンリーで走破した夜の翌夕の出来事である。
スポンサーの存在する監視体制が敷かれていると考えて間違いないだろう。
ちなみに、指導時間中に「はい、休憩」と伝えただけで、ホテルに誘われたと勘違いして怒り始めるような程に頓珍漢だったその女子生徒(彼女の自宅の町内にラブホテルがあった)は、僕になんらかの前科があるとの虚構を吹き込まれた上で、大卒の一人もいないながら、少子高齢化の世の流れに反して子孫を多く残しているような自らの家庭・一族の立場こそ世の正義であり、僕は罰せられるべき存在であると盲目的に信じているような、あからさまな被洗脳者だった。
他の塾生と同様のことが他にあっても、なだめて笑顔にならせてから帰宅させるようにはしているが、同時に、普段から僕の周辺にいる人間の相当数が、なんらかの事情に常に通じさせられているものと認識し、子供相手にも警戒を怠れない日々が続いている。
※嫌がらせ被害状況その3
今を遡ること約二十数年。5年ほどアメリカに住んでいた。ホームステイ先は隣家だかの人種差別主義者の存在を除けば平和だった。感謝している。
昨今一部の新聞記事で取り上げられたりしているような、編入先の学校でのマリファナ蔓延といった事態も経験しなかったので、ついていた方かもしれない。
ただ、5年間で参加した大学の授業では、英作文の時間に、「日本人のお前にこんな英語が使えるわけがない」と言われてみたり、デザイン指導の時間に、「私たちはアジア人の国にはなりたくない」と言われてみたり、僕個人としては謂れがないとしか言いようのない、担当教員共からの、日米関係を背景にしたような罵詈雑言を受け続けた。
※嫌がらせ被害状況その4
上記(嫌がらせ被害状況その1)の通り、僕に、嫌がらせ目的で市街中心部から遠い地域の仕事「K塾」を紹介した高校の同級生G。都内某私立大学の学生だった時代、帰省するときはいつもキセル乗車か友人の車帰省に便乗するかしていることを自慢するようなゴミクズ男だったが、上記の仕事場「K塾」で、顧客や大人たち相手に、僕についての誹謗中傷を吹き込み続け、周囲をGの味方ばかりにしようとする”環境”作りに余念がなかった。
他県の旧家出身の母親を持ち、幼いころに地元出身の父親に出ていかれ、周囲とは「毛色が違う(他人評)」、「醜いアヒルの子(他人評)」だった僕については、地元の田舎特有の閉鎖性も相まって、元々誹謗中傷が広まりやすい土壌が整っていた点は、その時に始まったことではなかった。そういう意味で、自信過剰・泥棒・嘘つき・激しい勘違い・嫉妬厨という五拍子のそろったGの目には、自らのシャーデンフロイデ精神・支配欲を満たすための格好の餌食として、特段の環境整備の労を必要とせずに陰から間接的にいびり倒せるはずのストレス発散専用サンドバックとして、僕の姿は映っていた。