Arktorous & Company 2

勧善懲悪

“阿呆さ”+“愛嬌”

 5日の日記を書いてから、身近に見られ始めた、“視線”にまつわる、とある“変化”について。


 某巨大掲示板などに於ける、この手の話を“集団ストーキング”などと名付けた電波模様のスレッドの氾濫を見たりするにつけ、こんなことをブログに書くこと自体非常に利口じゃないなと思いつつ、それでも書いてしまうのが僕という“悲しさ”であったり。(いい年のおっさん予備軍が、気取ったつもりでなくても用いるべき語彙でもないだろうけど、“悲しさ”≒“阿呆さ+愛嬌”ってことでヨロシク。)


…。


 ともかく僕について、以前からある一定の“興味”の持ち方をしていらっしゃる方々のうちに、5日のここの日記の、「他人の視線を感じることなく過ごせる、自宅以外では数少ない空間のひとつ…」というクダリに、その“興味”と同じ一定の方向に特化して利用できる、とある意義を読み取られた方々が想定を超えた数存在していらっしゃるらしく。(抽象的な上にムダに硬すぎて自分自身でさえ後日読んだときに、完全に同じ理解を再生できるかどうか分からないような表現になった…。)


 とある理由で、ある時期から、これまたとある一定の目的を持った視線に、当初は怒り混じりでさえあった不快感を覚えるようになっただけの話で、別に引きこもっているつもりはないし、他人様の普通の視線が怖いわけでもないので、ヘンにこちらを覗き込んでいただいても対応に困ってしまうだけなんですが、まあ、ここは近いうちに5日の“バス日記”の続きを書くべく、次回の気温の低い雨の夕方を待ちわびる動機は出来たかなと思っている次第。


 何を書いてんだか。(笑)


 (しかも本人的には非常に言葉足らずに終わった感じ。)